1カ月近く更新が途絶えた。
この間,まとめシート1と称する中間テスト(科目によっては3回,あるいは2回実施。最後はいわゆる期末試験)の採点その他に追われていた。
少しだが勉強していたのは,日本的雇用慣行高度成長期成立説というべきものだ。
言い換えると,日本的雇用慣行は高度成長期の産物だから現在では持続可能性はない,との主張だ。
前の論文との関係では,価値非形成労働の理論的規定を詰めていくのが本筋だが,関心は別に向いたので仕方ない。
この考えはこんにち支配的な職能給という賃金形態にも言及しているので,前の論文でも取り上げているが,現在関心があるのは日本の雇用慣行の成立時期及びその変遷だ。
これまでの日本的雇用慣行は,正社員に長時間労働を強いる面があり,
1)男性片稼ぎ型家族(女性は家計補助的労働)を前提にしている
という点は首肯できる。
また,
2)高度成長期から中成長期まで現正規雇用の主力は主婦パート(家計補助的労働)と学生アルバイトだった
という点は事実である。
しかし,
3)現在の非正規雇用の問題点,賃金格差と身分の不安定の内,後者,「景気変動の調整弁」「雇用調整の先兵」という側面を女性非正規雇用が担っていた
かは疑問である。
というのも,
a.高度成長期の女性の就業率は低かった。
『男女共同参画白書』H29年版によると昭和61年(1986年)は25-44歳層では52.1%に過ぎなかった(男性15-64歳層が80.7%)。1986年はバブル発生の翌年であり,高度成長(1955-73年)は疾うに終わっている(女性年齢計では,高度成長初期1955年は55.4%で2018年51.3%より高かく,むしろ行動成長期に下がっている。高度成長終了直後1975年,76年が45.0%で,その後また上がっているのは興味深い。労働力調査)。
b.家計補助的労働とは文字通りのパートタイム労働であり,フルタイムではないから,フルタイムである正社員に対して「雇用調整の先兵」とはなりにくい。企業の雇用調整は,本格化すると,パートの解雇の止まらず,フルタイムの解雇に進むからだ。
c.そもそも高度成長期に雇用調整の必要性は乏しかった。
個々の企業は別として,日本経済全体に雇用調整が広まったのは,高度成長を終わらせた石油危機における「減量経営」であろう。
その場合の減量経営も,非正規雇用比率はまだ低かったから,正社員の出向,転籍という形を取った。つまり,関連会社を利用したのであろう。
男性正社員の長時間労働が女性を家計補助的労働に押し込めたというのはその通りであろうが,雇用調整の面ではこんにちの非正規雇用を利用したというよりも,関連会社を利用したのではないか。賃金格差,身分の不安定性は,正社員・非正規雇用という形よりも企業の二重構造という面で表れたのではないだろうか。
ではこんにちなぜそれが正社員・非正規雇用という形で現れるようになったかといえば,産業構造の転換が大きいのではないか。
製造業中心の間は,安い労働力,減らしやすい労働力としては下請会社を利用できたが,製品を作り置きできないサービス業中心になると,同じ事業所で使わざるを得なくなり,正社員・非正規雇用の身分格差が利用されるようになったのではないか,というのが推論である。
[1]日本的雇用慣行(正社員の解雇に慎重)が威力を発揮したのは高度成長終焉による。
[2]「雇用調整の先兵」として非正規雇用が利用されるようになったのは,あるいは非正規雇用比率が上昇したのは,産業構造の転換による面が大きい。
80年代はまだ2割未満だった。それが3割を超えたのは1985年労働者派遣法の成立も寄与しているだろうが,その根底に産業構造の転換があった。
派遣が禁止されている時代は「請負」という形を取ったが,違法でも請負という形で派遣せざるを得なかったのは,部品製造の下請ではなく,「作業」の下請になっていたからである。
日本的雇用慣行が高度成長後にこそい旅行を発揮し(持続可能であり),法律一変の問題ではない(派遣法を撤廃しても産業構造がサービス業中心になっている以上,偽装請負がはやるだけ)以上,賃金・身分格差にどう対応すべきか,が次の問題である。
働き方に合せた処遇が必要なのではないか。
・家庭との関係では
女性25-44歳層の就業率は上昇の一途なので,「仕事と家庭の両立」は大きな問題であろう。
正社員の付帯条件のような長時間労働,有無を言わせない転勤は見直しが必要だ。
・雇用調整は避けられない問題ではあるが(解雇禁止にすれば良いという問題ではない),労働者の内部での調整が必要であろう。
契約更新が続いているのは長期雇用なのだから無期転換すべきだし,
家計補助的労働と家計支持型労働とは分けて扱う必要がある。