告まで残すところ1週間もかない。
前回10月12日の投稿を読み直すと,もう既に構成は固まった体でろうろうと論点提示していた。
ところが,その後,関連文献を読み返していて不十分と感じる点が多々出てきて立ち往生していた。
ともあれ,今朝,コメンテーターをお願いしていたY氏にスライド配布資料を提出し,後は論点毎の文献を読み返し論旨を整理するくらいとなった。
先月19日締め切りの学会報告予定稿は直前まで最終第3節の構成に迷っていたため内容も文章も練る時間が足りなかった。
そのため,後で読み返すと,誤字脱字が混じっているばかりでなく,浅い叙述になっている。
学会報告の骨子はこうだ。
新統合論検討の意義を経済圏論研究上の具体的論点に即して示すというのが第3節の趣旨なのだが,その論点選びに難渋し,6月の西南部会報告では具体的に示せなかった。8月の仙台経済学会報告では,利潤率における流通費用の捨象問題の検討に充てたが,まだ理解が浅く結論も明確ではなかった。さらにその後,下旬の研究会行脚のうちに他の論点に関心が移り,迷いが生じた。
提出した予定稿では,再び第3節で流通費用捨象問題を取り上げることにしたが,時間不足で練りが不十分だった。
したがって,提出後もその内容を詰めていく作業が続いた。
今のところ次のように考えている。
利潤率算定における流通費用捨象論者もその批判者も,費用と成果との間の量的技術的確定性/不確定性を,①生産過程,流通過程を分ける属性として捉えている,②費用の計上可能性/不可能性の基準として捉えている点では共通している。
しかし,既に拙著『生産的労働の再検討』において説いているように,①生産過程にも調整効果など不確定的な労働がある反面,流通過程には保管,運輸など確定的労働もある。②費用計上可否の根拠は労働の定量性であって確定性ではない。生産的労働は確定的なものも不確定的なものもあるが,目的に対し手段的に追求されているため,一様に定量性を有する。,
流通費用問題に関する混乱は,第2編生産論の課題,資本による社会的再生産の包摂,言い換えると社会的再生産における様々に種差的な労働の編成を正面から説いていなかったために,第3編機構論の費用価格問題として扱われたことに原因がある。その意味では2節までに説いた特別剰余価値論の超過利潤への統合論の問題と同じである。
10月10日 久しぶりに球場へ。
学会準備が整っていなかったためBS放送さえ観る予定はなかったが,楽天イーグルスの最終試合は,勝てば,勝ったときのみAクラス入り=クライマックスシリーズ進出が決まるとあって,急遽球場へ。
しかし,序盤からエラーやソロHR被弾などで失点を重ねる一方,チャンスは活かせない攻撃のため,双方のCS参がを掛かっている割には一方的な試合,塩っぱいになってしまった。
1シーズンを通してほぼBクラスに安住していたチームらしい試合。
戦力,戦術見つめ直して来季に臨んで欲しい。