2025年1月1日よりサイト移籍予定。
2024年12月24日火曜日
晴読雨読
先週金曜日,年内最後の授業が終わると,土曜日以降,近所の小売店とスポーツジム以外どこにも行っていない。
学期中は火曜日と金曜日は講義時間をはんで非常勤講師控室に長居したり,それ以外の曜日もスタバ,ドトールなどカフェに出向いていたりするが,長期休暇となると,研究室代わりに使っていた講師控室が利用できない。
またカフェも,先月末休みなく通い続け,〆切背負っているというトラウマか残っているのか,前の日の予定では出向くつもりでいても,当日になると[自宅で良いか」と登校拒否症に陥って利用しないでいる。
そうなると,退職前に恐れたいた「毎日が日曜日]だ。
実際[今日が何曜日か]浮かぶまでに一瞬,間ができる。
ストレスはない方が良いのだろうが,少なすぎると[いつまでにこれとこれは成し遂げるぞ]という気分が緩む。
晴れの日も読書,雨の日も読書では生業が立たなくなる。困ったものだ。
2024年12月20日金曜日
さて次稿
いよいよ次稿に着手する。
その着想は「この1ヵ月」で述べたようなことだ。
9月の,学会問題別分科会で問題提起のあったように,搾取の説明が「マルクスの基本定理」で済まされるという理解が広まっている折,価値論の意義が問われている。
分科会報告では,資本主義的搾取の説明には資本循環(価値の姿態変換)に則した価値増殖の説明が不可欠と説いたのだが,それを最近の価値論の動向から改めて説いてみたい。
現在,価値論ではいくつかの新しい論調,傾向が見られる。
一々説明すると長くなる,論文になってしまうので,スローガン風にまとめると,
- 価値の価格化
生産論が社会的生産視角で説かれるようになり,剰余価値の増大の項から特別剰余価値規定が消え,代わりに競争論,機構論における市場価値論で示される超過利潤概念に新生産方法普及の役割が与えられるようになった。 - 価格の価値化
「生産過程の確定性」「流通過程の不確定性」を価値形成の基準とする立場から流通費用の費用価格(コスト)への不計上が主張されることが一般的になった。 - 価値論展開における生産論の希釈化
1.から派生して,生産論では労働,生産の考察に止め,価値論を展開しない傾向が現れてきた。他方で,価値水準の安定を社会的生産を絡めずに商品の価値規定から直接導出する論調も出てきた。
これらの論調の淵源を辿ると,以前の論考にもその萌芽を認めることができるが,少なくとも価値論の射程を整理しなければ,「主流派経済学と対峙する」という意図に「マル経を組み立てる」試みもその成果は覚束ないであろう。
2024年12月11日水曜日
2024年11月23日土曜日
この1ヵ月
更新途絶えた1ヵ月を箇条書き風に振り返ると,
- 今回コメントの少なかった論文リライトは後回しにして次の論文の構想に耽っていた。
- その内容は,混線している価値と価格の位相の整理
- 経済理論学会の問題別分科会「資本主義社会の基礎理論」では個々数年価値論が取り上げられているように,価値論,労働価値説の意義再検討の気運が高まっている。
- その中で,宇野派では価値と労働の関係づけの稀釈化,労働,生産に関説せずに商品の価値規定自体から価値ないし価格水準の安定性を導出する動きが出ている。
- その意図は,主流派経済学との対峙を念頭に従来の労働価値説理解に拘泥せずに価値論を見直すことにあるが,価値と労働の関係づけの稀釈化は,見方を変えると価値概念の肥大化であるから,価値概念を有さない主流派経済学との対峙,対話をかえって困難にしている。
- 労働との関係に触れない価値論は,労働ないし社会的生産とは無関係に,価値概念それ自体から直裁に価格現象を説明しようという試みであり,価値と価格を同一平面で論じることになる。
- 翻ってみると価値と価格の「次元の相違」を唱えてきた宇野理論の中に価値と価格の混線が見受けられる。
- こうした混線を整理し,価値論の肥大化を抑えない限り主流派経済学との対置は困難であろう。
- 論文のリライトについては
- 理解して貰えないのは,問題意識の違いが大きく寄与していると思われる。
- したがって,単に表現を丁寧にする,という表面的修正では済まない。
- 最終章の3つの論点それぞれについてこちらでは当然と思っていた理論背景,例えば,経済原論体系における流通論と生産論の関係,特別剰余価値概念と超過利潤概念との展開場面の違い,理論的役割の違いにまで遡って解説する必要がある。
- 論点をその問題構制も加えて解説することになると,全面的な書き換えが必要になり,場合によっては従来論じていた細部の割愛も必要になる。
2024年10月24日木曜日
不確定性の取り扱い
話が長くなるので,この間考えていたことを簡単に列挙すると,
8月末八王子合宿,SGCIME夏季研究合宿での,ある報告論文を読み直し,
- 価値形成労働の基準
- 流通費用の生産価格への計上の可否
今現在の疑問は,
- 同じ論者,例えば故山口重克でも不確定性の取り扱いは異なるのではないか。
- 「流通過程の不確定性」を根拠とした流通費用の費用価格への計上可否は価格論,現象面,すくなくとも上向法の終わりに近い場面での議論になる。
- 費用としての不確定性を根拠とする価値形成労働は価値論での議論
(今のところここまで)
2024年10月10日木曜日
晴耕雨読とはゆかない
自宅は居心地は良いが,良すぎて気分が弛緩する。
また同じことだが,オンとオフの使い分けが難しい。
そこで以前は土日も近所のカフェに「出張」していた。
しかし春先そのカフェが撤退してしまった。
そこで4月から平日は朝から自転車を漕いで街中のカフェまで「遠征」することになった.
2,3箇所使い分けているが,スッカリお馴染みになった。
しかし,雨の日は自転車が使えない。
勤め人ではない,通勤費も出ないのに,バスで行く程かとも思ってしまう。
問題は雨の日が続いたときで,,毎日毎日同じような生活を来ることになると,自然とボルテージが下がる。
晴耕雨読は必ずしも好ましいものではない。
2024年10月7日月曜日
偲ぶ会参加
10月4日(金) ホテルJALシティ仙台で開かれた「大内秀明さんを偲ぶ会」に参加。
大内秀明さんとは1月に亡くなられた大内秀明東北大名誉教授のこと。
13時開始だったが,昼前のコマで担当する経済原論2が初回ガイダンスのため早めに終わり,駆けつけることが出来た。
大内先生は教養部に属されていたが,大学院でも指導されていたため,6,70年第,あるいは80年代「政治の季節」に東北大学の教養部や大学院で学んだ当時の学生,あるいは市民運動の中で大内先生と係わった方計60数名が参加していた。
当方は東北大学で学んだわけではないし,面識を得たのは先生の最晩年だったので,参加していた研究仲間に当時の先生の様子を尋ねて廻った。先生の社会運動との係わり,東北大学時代の研究関心,当初から共同体(社会主義)への関心はあったのか等々。
さまざまな方とおしゃべりの中でのことなので回答を一々挙げないが,東北大学時代は当時の社会問題,社会関心に基づいて研究テーマを設定されていたような印象を受けた。
同じく社会問題に発言されていても,一貫して「市場と共同体」という関心で研究に臨まれていた故降旗節雄先生(北大,筑波大,帝京大)とはまた別のスタンをお持ちであるように思えた。
改めてご冥福をお祈りしたい。
2024年9月23日月曜日
表の改訂
| 小幡理論 「流通生産二元論」 |
数理マルクス経済学 「価値価格二元論」 |
||
|---|---|---|---|
| 生産論(搾取) | 価格 | ①③物量体系(社会的再生産視角) 「マルクスの基本定理」(剰余労働の必要性) |
|
| 価値 | 社会的再生産視角に止まる→剰余労働の指摘に止める=不変/可変資本,剰余価値概念放棄,表式論も〔②投下労働価値説棄却〕(宇仁他[10]小幡[16]さくら[19]) 資本循環視角→不変/可変資本概念による剰余価値論〔②投下労働価値説維持〕(置塩[88]八木[06]小幡原論) | ||
| 流通論(資本) | ④価値内在説 同じ商品「同じ価値」 →売り急がず価値安定 A.「何でも買える」貨幣は同種大量商品を前提 B. ③客観価値説≒生産価格に裏打ちされているから。 ←売り手にとって「同じ価値額」(内在/事前主観)と生産価格(外在/事後客観)のすり替え ←価値(流通論)と労働(生産論)の分断(関係不明) |
価値=労働(社会的再生産視角)に止まる →「増加」ではなく「自己増殖」する 資本概念に到達しない |
|
しかし,そうなると価値増殖ないし剰余生産物形成と資本の運動との関係は明らかではなくなる。
資本は単なる資金,資産,設備ではなく,「価値増殖の運動体」とは価値論を報じる理論では一致する規定である。
平熱回復するも
先週末,学会問題別分科会での報告を終えた。
当日朝から咳が止まず,宿舎に戻って体温を測ると極めて高熱。2日目は欠席し翌日地元急患センターで治療を受け,以後静養に努めてきたが,2,3日で平熱に戻った。今週から平常復帰の予定。
問題別分科会は3名の報告者が関連する報告を行い,相互にコメントし合うという体裁をとったが,議論が噛み合ったわけではなかった。特に自分の報告は趣旨が理解されたようには思えなかった。
しかし,9月1日報告本文を投稿してから当日まで構成を練る過程で,また当日の質疑の中で大きな気付きが2,3あった。
- 数理マルクス経済学の影響で,搾取論が社会的再生産視角からの説明,例えば「マルクスの基本定理」(剰余労働の必然性)で済まされ,資本循環に即した,資本の価値増殖の説明が省略される傾向が目立っている(これを前稿では,また報告でも「価値・価格二元論」と指摘した)
- これと相即するように,宇野理論,特に小幡理論では,価値論の展開が流通論で済まされる傾向が強くなった。流通論,特に冒頭商品論で価値水準の安定性が説かれる傾向が顕著になった(これを報告では「流通生産二元論」と指摘)。
- 価値水準形成の説明が流通論,冒頭商品論で完結する傾向と生産論における資本の価値増殖論の形骸化という傾向が合わせ鏡のように呼応して進んでいた。
問題はある世代以降,この傾向が当然のことのように受け止められ,その特異性が理解されていないことである。
宇野が価値実体抽出の場を資本の生産過程論に求めたのは価値の価格からの乖離とその修正が資本の生産過程を背景において始めて可能という理解があった。
この点からすれば,価値水準の形成は資本による生産過程の包摂,資本による価値生産物(労働力商品の価値+剰余価値)の形成の説明を通してしか解明出来ないはずである。
言い換えると,先の2つの傾向は,学問の発展を無視し,むしろ逆行していることになる。
しかし,ある世代にはそのことを改めて説明しないと伝わられなくなっている。
一言で言えば,世代間ギャップであるが,学問の発展は先行研究との関係で始めて明らかになるのであるから,それを無視して論じられることは釈然としない。
2024年9月5日木曜日
一旦終了
8月31日,9月1日と〆切が続居たため,後者,学会報告本文の仕上げは突貫工事になってしまった。前者〆切まで1週間,後者は棚上げ状態となり,前者が終わってから後者の仕上げには1日しか残っていなかったからだ。
もちろん大筋のドラフトはあったものの、取り上げる論者の主張をすために原典に当たって正確に引用する必要があり,一つ一つに時間を取ってしまった。
大筋は前回,S氏への返信で示したとおりだ。
二年前の学会報告でも小幡氏の剰余価値論の余剰論への組み替えを検討し,昨年の学会報告も余剰論における特別剰余価値概念の超過利潤概念への統合を検討していたたので,いわばその続きであった。
今まで小幡余剰論を検討してきたので,今回コーディネータの吉村氏に報告参加を誘われた際も喜楽に分会報告を引き受けてしまった,
分科会は2,3の報告を関心を集めやすいように同一テーマで括る、いわばパッケージで提供するものだが,報告相互は甘利関係ないことが多い。
しかし,今回の問題別分科会「資本主義社会の基礎理論」では3名の報告者が相互にコメントし合うというスタイルをとる。
今回は小幡道昭氏(東大名誉教授)が自ら最新の小幡道昭理論を報告され,置塩理論を代表して関根順一氏(九州産業大学)がこれまでの価値論争のまとめを報告される。
関根氏も参加されるので,単に小幡理論の検討では済まない。
そこで,考えたのが前回紹介したように,小幡理論と数理系マルクス経済学は共通面もあるし,異なる面もあるということだ。
この点を説明すると話が長くなるので,学会当日のスライドで用いる予定の見取り図で示すと以下のようになる。
| 小幡理論 | 数理系 | ||
|---|---|---|---|
| 生産論(搾取) | 価格 | ①③物量体系(社会的再生産視角) 「マルクスの基本定理」(剰余労働の必要性) |
|
| 価値 | 社会的再生産視角に止まる→剰余労働の指摘に止める=不変/可変資本,剰余価値概念放棄,表式論も〔②投下労働価値説棄却〕(宇仁他[10]小幡[16]さくら[19]) 資本循環視角→不変/可変資本概念による剰余価値論〔②投下労働価値説維持〕(置塩[88]八木[06]小幡原論) | ||
| 流通論(資本) | ④価値内在説 同じ商品「同じ価値」→売り急がず価値安定 A.貨幣「何でも買える」機能は同種大量商品を前提とするから ←一物一価を超えた同一価値額の根拠不明 B. ③客観価値説(生産論)に裏打ちされているから。 ←生産論から価値論を排除した意味不明 |
価値=労働(社会的再生産視角)に止まる →「増加」ではなく「自己増殖」する 資本概念に到達しない |
|
2024年8月23日金曜日
2024年7月29日月曜日
価値内在論の制約・その1
前便は,更新が間延びした理由,言い訳を述べようとして,採点手間取った試験の話ばかり
になった。
しかし,更新が伸びたのは何も学務の幼児ばかりではない。
9月半ばの学会報告の構制について見直し,迷いが生じていたのが大きな要因だ。
学会の問題別分科会,3名の報告の1一人として招かれたのは,労働価値説を社会的再生産の見地から物量体系に即して説いている小幡理論や置塩理論とは対照的に、未だに投下労働価値説にこだわっている変わった論者としてであろう。
こちらもそんな偏狭者、ドンキーホンテ扱いを承知のうえで引き受けている。
その上で、報告エントリー時の趣旨書に記し、ここでも紹介したように、物量体系に即した搾取論だけでは、1)資本としての価値増殖,価値の姿態変換を示したことにはならず、資本による生産過程包摂の分析に名手いないこと、2)労働の客観性を所与しているために、 多様な労働の分析に必要な労働の主査性を明らかにできないという問題点を指摘しようとしている。
しかし、そののことは小幡理論が置塩理論と同じという意味ではない。
もちろん様々な点で違いがあるのは当然であるが、こと価値論として違いをどのように説くか、でしばらく論文を読み返し、ノートを作り直すという作業に追われていたのである。
その点について、完全に構成が固まったわけでもなく、ここで長々と記すことははばかれるが、簡単に示すと、
小幡先生が「マルクスを組み立てる」という2016年の論文で示された4つの論点のうち、譲与価値論に変わる余剰論、投下労働価値説に変わる客観的労働蘆雪について、それ以外の2点、すなわち貨幣の実在する市場論(価値内在論)と産業予備軍の常駐する労働市場論が大きく影響を与えているのではないか、ということである。
とりわけ小幡先生の独創とも言える価値内在論は,生産を自然過程の一部と捉える独自の見解とも相俟って,他の数理系価値論以上に,労働量決定の客観性を強調するものになっている。 (この項続く)
記述式
またまた更新が延びた。
第3回まとめシートの出題形式にういて選択式の予定を短い記述式に換え、その採点に手間取っていた。
担当する各科目は評価を1回の期末テストで行うのではなく、初回ガイダンス以外計14回行う確認問題と、単元ごとのまとめシート3回の得点合計元に行っている。
毎回の確認問題は,正しいもの、不適切なものを1つ選べという選択式2問、時に空欄補充だが、まとめシートは第1回のみ空欄補充で、第2回が論述式あるいは短く答える記述式、第3回は空欄補充ないし記述式としている。
選択式である確認問題が正答率が高いのと同様、空欄補充問題も設題について教員が作成した答案、文章に適切な用語を埋めてゆけばよいのでので正答率が高い。空欄が10個あれば、9割弱の学生は誤答が2個いないに収まる。
しかし、論述式はそうはゆかない。
問いに対し、結論を示すだけではなく、その結論を導くために、予め何と何を論じなければならないか,自ら構成を考えなければならない。構成が思いつく学生の答案と結論のみの答案では得点に大きな差が出る。さらに,残念ながら,設問の意味を読み誤った答案も見受けられる。毎回の確認問題と同様、未提出者と区別するために最低1,2点は出しているが、それっきりである。
今期も、すでに第2回まとめシートで論述式ないし記入式の問題を出して丁寧に採点しているので、第3回は簡便な方式で済ますつもりでいた。
しかし、まとめシート2で得点にあまりに得点に差があるように思えたので、第3回も短い記述式だが、学生自ら説明してもらう形式にした。そのため時間が割かれた。
結果としては第2回と大差はないようにも思えるが、ユニバーサルか、大衆化したといっても大学の専門科目である以うな、試みを繰り返す必要があるのではないだろうか。
2024年7月11日木曜日
2024年6月26日水曜日
分科会報告本決まり
お誘い頂いていた秋の全国大会分科会報告は未だ決まらないのかなぁ,と不安に思って,学会HP>大会HPと辿ってゆくと,名前が載っていた。既に5月末には直接の申込者に連絡があったようだ。(その経緯は省略)
報告「剰余価値論は不要か」の趣旨はエントリー時に示した。
物量体系から余剰発生を示し搾取の存在証明とする理論は,
- 余剰の源泉を労働に求める剰余価値実体論に止まり,如何に形成されるかという剰余価値形態論を欠く,
- 労働の客観性を所与としているため,
a.自己目的的な面もある家庭内の労働を賃労働と同質の定量的生産的労働に限定している,
b.定量的労働を量的確定性の高い価値形成労働に限定し,
併せて多様な労働の理論的な把捉を困難にしている。
2はかねて主張してきたことであり,今後9月1日の締切までに1及び1と2の関連について詰めてゆくつもり。
といっても報告本文の執筆はずっと後で差し当たりは論点構成を練ることに努める。
1の論点を思いつくままに並べると,
- 【歴史性】搾取を表現する際の単位となる財,ニューメレールは労働でなくてもよいとする労働価値説批判に対して,労働の普遍的特性を主張するだけで良いか。商品経済に限定されない普遍的な属性がなぜ商品価値に繋がるのか不明だからだ。
- また搾取の成立を説くだけでは不十分だ。資本主義社会では搾取が非権力的に,契約自由の原則に基づく労働力商品の売買の結果として発生しているからだ。したがって,市場のルールに従って剰余価値が発生していることを示す剰余価値形態論が不可欠となる。
- 【価値特性】労働力商品は,資本主義固有という意味での歴史的特殊性ばかりでなく,資本が価値の姿態変換を続けるなかで,本人の手にあるときのみ価値を有するという労働力商品の価値特性は重要。
- 【多様性,多層性】社会的再生産,あるいは人間と自然との物質代謝過程である労働過程を出発点とすると,労働はすべて同質的に映るが,目的物をハッキリさせ,ある物の生産過程として捉え返すと,定量性のある労働とない労働,量的技術的確定性の高い労働とそうではない労働の区別が明確になるのではないか?
- 【商品所有者性】労働力商品概念は,価値増殖という面ばかりではなく,賃金労働者の行動に「より高く売りたい」という商品所有者性を認める点でも重要ではないか。特に労働者構成において,同じラインについて集団的に労働するブルーカラー労働者よりも個々人に一定の裁量性があるホワイトカラー労働者の比率が増大しているこんにちでは重要ではないか。
2024年6月20日木曜日
三つ子の魂,百までも
論文のリライトをさらに続けることになった。
「新統合論」とは,経済原論第3篇,競争論ないし機構論における超過利潤概念を,従来,生産論で展開されたいた特別剰余価値概念のように説いている。
同一部門内で複数の生産条件が並存していても,優等な,新生産条件が普及すれば超過利潤は消滅する,と。
その弊害として,生産論の流通論との不接合(端的には可変資本概念の空洞化),資本における生産力志向の展開不全,平板な競争像の3点を挙げた。
すると,宇野弘蔵も新技術が普及すれば超過利潤は消滅すると説いているというコメントがあった。
しかし,新技術普及による超過利潤消滅は,超過利潤消滅の一特殊ケースに他ならない。
超過利潤の消滅=優等な生産条件(で生産された,他よりも低い個別的価値)が市場価値を規定するのは優良な生産条件だけで商品の社会的需要を満たせるからで,それだけ需要が収縮し,中等ないし劣等な生産条件を用いた資本はマイナスの超過利潤となる(平均利潤が得られない)ために生産を控えるケースであろう。〔需要が回復すれば,優等な生産条件だけでは需要を満たしきれなくなり,中等ないし劣等な生産条件が市場価値を規定し,それ以上の生産条件を要した資本には超過利潤が復活する。〕
これに対し,新技術普及による超過利潤消滅はその特殊ケースである。というのも,新技術普及には時間が掛かる,また常に新たな技術が生み出され,元の新技術も中等以下の技術になり常に超過利潤が発生するからであり。
超過利潤消滅を,その一特殊ケースである新技術普及でしか説かないのも「新統合論」たる所以である。
超過利潤を特別剰余価値的に説くから,機構論における市場価値論は新旧2つの生産条件か設定されず,しかも新技術が普及し旧方法が淘汰される方向でしか生産条件の並存が説かれない,諸資本の競争が説かれない。
新統合論の弊害の3番目に挙げた平板な競争像とはこのことである。
その一例として,市場価値論に続く地代論では絶対地代が土地の生産性の差異からではなく,土地所有者間の「結託」という非市場的要因から説かれていること(土地の生産性較差を踏まえた資本の競争が捨象されていること)を挙げた。
すなわち,差額地代が動力源としての落流の蒸気機関との生産性較差からのみ説かれている,言い換えると土地の生産性較差による差額地代が説かれず,優等な土地への第2次投資によって劣等地への差額地代第Ⅱ形態発生も含む利用されるすべてお土地への地代発生が説かれなくなり,土地所有それ自体に基づく地代,絶対地代が差額地代第Ⅱ形態を経由せず,土地所有者間の「結託」という非市場的要因から導出するしかなくなっている。
すると,差額地代第Ⅱ形態は説かれているとのコメントを受けた。
確かに説かれているが,絶対地代を説いた後である。むしろ何のために説いているのか不明な状態になっている。〔お弟子さんの原論では削除〕
そこでは,土地の生産性較差を設定した上で,第2次投資の生産量も示している。そして「社会的需要が(1) 以上になると, B1が耕作に引き込まれ,最劣等条件となる」などと,社会的需要の動向により市場価値を規定する生産条件が遷移することが説かれいる。
社会的動向による規定的生産条件の遷移を認めるならば,なぜ複数制三条件並存の一般論である市場価値論でそれを設定しなかったのだろうか?〔地代論は生産受験が制約された自然条件である点でその特殊例〕
結局,余剰論は剰余価値を階級単位で説いているために,資本を絶対的剰余価値の生産から相対的剰余価値の生産へと誘う特別剰余価値概念が生産論から放逐され,機構論の超過利潤概念と統合されたために,市場価値論は新旧2つの生産条件が並存していても新技術の普及過程という一方向の競争でしか捉えられず,地代論でも絶対地代の導出の際には差額地代第Ⅱ形態,言い換えると土地の生産性較差が設定されてなかったのであろう。しかしながら,社会的需要の動向と無関係に資本蓄積が決定されないのでは「市場」価値論にならないから,絶対地代導出後に申し訳程度に土地の生産性較差が説かれたのであろう。
そして研究者もこのような論調で講義を受ければ,教科書で教えられれば,社会的動向により市場価値を規定する生産条件が変異する,超過利潤消滅は一時的ケースという説明が筆者独自の「独特な見解」としか映らないのであろう。
まさに「三つ子の魂,百までも」である。
2024年6月10日月曜日
学外講師への返信
こんばんは。。。です。
二分法への疑問
最近喧伝されている,流通の不確定性と生産の確定性という対置,二分法に強い違和感を覚える。
生産に関わる労働はすべて客観的で確定的であろうか。
例えば,山口原論で出て来る「無体の生産手段」のうち,生産過程間の調整を司る「調整効果」や,直接生産には関わらない技能教育や照明(の調整)など「労働補助効果」は所定の生産物量から一義的にその量が決まるわけではない。生産的労働ではあっても不確定的と言える
さらに生産でも流通でもない家庭内の労働やNPOの労働はどのように位置付けられるのであろうか。
賃金をもらっていないだけで生産的労働と同じだろうか。
確かにそれらの中には賃金をもらっていないだけで生産ないし流通における労働と同じ定量的な生産的労働も存在する。特に組織内で行なわれる場合,労働相互の連関の必要上,定められた時間内に定められた生産物量を算出することが求められる。
しかし,家事労働ないしNPOの労働すべてが定量的な労働ではない。
相手の要求に寄り添うように半ば無制限に時間を掛ける労働もある。
これらは労働ではないのであろうか。
確定的生産と不確定的流通の二分論では済まないように見える。
余談ですけど
6月8日,立教大学で開かれた経済理論学会関東部会に参加した。
書評風の第Ⅰ報告で取り上げられた著書の寄贈を受けていたこともあるが,秋の全国学会問題別分科会報告とも関連すると思われたからだ。(分科会報告はエントリーしただけでまだ決まっていないが,適わなかったら論文にするだけだ)
実際の報告や質疑の中心が関心のある論点とは違っていったため,発言せずじまいだったが,分科会報告を準備する上で考えさせられることがあった。
それは「流通過程の不確定性」に対置して生産過程(に投入される労働)を「確定的」とみなしていることへの疑問だ。
前回述べた3つの論点の内の「1.流通論と生産論との不接合」にも係わる。
不確定性と確定性で流通過程と生産過程が峻別されるばかりでなく,労働時間が技術的に確定的な投入産出関係に規定されていることから,流通論=価値論,生産論=労働時間論と切断されると,資本による社会的な生産過程包摂を説くことが出来るのか疑問を覚える。
実際,さくら原論では,「資本の生産過程」「資本の価値増殖過程」という視角がなく,生産論から不変資本,可変資本,剰余価値(率)等の概念が駆逐されている。
しかし,生産論を労働時間の問題に限定してしまうと。「資本の下の労働過程」を分析しても資本の価値増殖には結び付けられないため,労務管理的な話に止まり,経済原論にとっては「余談ですけど」になってしまうのではないか。
