最近喧伝されている,流通の不確定性と生産の確定性という対置,二分法に強い違和感を覚える。
生産に関わる労働はすべて客観的で確定的であろうか。
例えば,山口原論で出て来る「無体の生産手段」のうち,生産過程間の調整を司る「調整効果」や,直接生産には関わらない技能教育や照明(の調整)など「労働補助効果」は所定の生産物量から一義的にその量が決まるわけではない。生産的労働ではあっても不確定的と言える
さらに生産でも流通でもない家庭内の労働やNPOの労働はどのように位置付けられるのであろうか。
賃金をもらっていないだけで生産的労働と同じだろうか。
確かにそれらの中には賃金をもらっていないだけで生産ないし流通における労働と同じ定量的な生産的労働も存在する。特に組織内で行なわれる場合,労働相互の連関の必要上,定められた時間内に定められた生産物量を算出することが求められる。
しかし,家事労働ないしNPOの労働すべてが定量的な労働ではない。
相手の要求に寄り添うように半ば無制限に時間を掛ける労働もある。
これらは労働ではないのであろうか。
確定的生産と不確定的流通の二分論では済まないように見える。
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