2024年7月29日月曜日

価値内在論の制約・その1

  前便は,更新が間延びした理由,言い訳を述べようとして,採点手間取った試験の話ばかり

になった。

しかし,更新が伸びたのは何も学務の幼児ばかりではない。
9月半ばの学会報告の構制について見直し,迷いが生じていたのが大きな要因だ。

学会の問題別分科会,3名の報告の1一人として招かれたのは,労働価値説を社会的再生産の見地から物量体系に即して説いている小幡理論や置塩理論とは対照的に、未だに投下労働価値説にこだわっている変わった論者としてであろう。
こちらもそんな偏狭者、ドンキーホンテ扱いを承知のうえで引き受けている。
その上で、報告エントリー時の趣旨書に記し、ここでも紹介したように、物量体系に即した搾取論だけでは、1)資本としての価値増殖,価値の姿態変換を示したことにはならず、資本による生産過程包摂の分析に名手いないこと、2)労働の客観性を所与しているために、 多様な労働の分析に必要な労働の主査性を明らかにできないという問題点を指摘しようとしている。

しかし、そののことは小幡理論が置塩理論と同じという意味ではない。
もちろん様々な点で違いがあるのは当然であるが、こと価値論として違いをどのように説くか、でしばらく論文を読み返し、ノートを作り直すという作業に追われていたのである。

その点について、完全に構成が固まったわけでもなく、ここで長々と記すことははばかれるが、簡単に示すと、
小幡先生が「マルクスを組み立てる」という2016年の論文で示された4つの論点のうち、譲与価値論に変わる余剰論、投下労働価値説に変わる客観的労働蘆雪について、それ以外の2点、すなわち貨幣の実在する市場論(価値内在論)と産業予備軍の常駐する労働市場論が大きく影響を与えているのではないか、ということである。
とりわけ小幡先生の独創とも言える価値内在論は,生産を自然過程の一部と捉える独自の見解とも相俟って,他の数理系価値論以上に,労働量決定の客観性を強調するものになっている。 (この項続く)


 

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