お誘い頂いていた秋の全国大会分科会報告は未だ決まらないのかなぁ,と不安に思って,学会HP>大会HPと辿ってゆくと,名前が載っていた。既に5月末には直接の申込者に連絡があったようだ。(その経緯は省略)
報告「剰余価値論は不要か」の趣旨はエントリー時に示した。
物量体系から余剰発生を示し搾取の存在証明とする理論は,
- 余剰の源泉を労働に求める剰余価値実体論に止まり,如何に形成されるかという剰余価値形態論を欠く,
- 労働の客観性を所与としているため,
a.自己目的的な面もある家庭内の労働を賃労働と同質の定量的生産的労働に限定している,
b.定量的労働を量的確定性の高い価値形成労働に限定し,
併せて多様な労働の理論的な把捉を困難にしている。
2はかねて主張してきたことであり,今後9月1日の締切までに1及び1と2の関連について詰めてゆくつもり。
といっても報告本文の執筆はずっと後で差し当たりは論点構成を練ることに努める。
1の論点を思いつくままに並べると,
- 【歴史性】搾取を表現する際の単位となる財,ニューメレールは労働でなくてもよいとする労働価値説批判に対して,労働の普遍的特性を主張するだけで良いか。商品経済に限定されない普遍的な属性がなぜ商品価値に繋がるのか不明だからだ。
- また搾取の成立を説くだけでは不十分だ。資本主義社会では搾取が非権力的に,契約自由の原則に基づく労働力商品の売買の結果として発生しているからだ。したがって,市場のルールに従って剰余価値が発生していることを示す剰余価値形態論が不可欠となる。
- 【価値特性】労働力商品は,資本主義固有という意味での歴史的特殊性ばかりでなく,資本が価値の姿態変換を続けるなかで,本人の手にあるときのみ価値を有するという労働力商品の価値特性は重要。
- 【多様性,多層性】社会的再生産,あるいは人間と自然との物質代謝過程である労働過程を出発点とすると,労働はすべて同質的に映るが,目的物をハッキリさせ,ある物の生産過程として捉え返すと,定量性のある労働とない労働,量的技術的確定性の高い労働とそうではない労働の区別が明確になるのではないか?
- 【商品所有者性】労働力商品概念は,価値増殖という面ばかりではなく,賃金労働者の行動に「より高く売りたい」という商品所有者性を認める点でも重要ではないか。特に労働者構成において,同じラインについて集団的に労働するブルーカラー労働者よりも個々人に一定の裁量性があるホワイトカラー労働者の比率が増大しているこんにちでは重要ではないか。