「経済原論」では日高普『経済学』(岩波全書)をテキストとして用いている。もともと教養科目のテキストだが,原論固有の領域ばかりでなく,経済学の生成や19世紀末以降の資本主義の発展を解説してくれているので,専門科目と言っても初学者に等しい学部2年生にはちょうど良いと考えてのことである。
後ろ3分の1の,資本主義の発展に関する叙述は,段階論的叙述と現状分析的叙述とを明確に分けているわけではないが,冒頭第4章『経済学の体系』では経済学方法論として三段階論について解説されている。
このテキストを10年以上近く用いているが,この解説が三段階論の必要性,言い換えると原理論-現状分析という二段階論の問題点を十分に解いているとは思えなかった。いわゆる修正主義論争に触れてはいるが,二段階論の典型である修正主義,教条主義それぞれの問題点を説明し切れていない。そのため,自分独自に両者の問題点を解説することをしていたが,学生には小難しい理屈と映るようで,十分伝わっているとは言えなかった。
そこで昨年,序論部分のまとめのつもりで,加藤榮一「福祉国家と資本主義」(工藤章編『20世紀資本主義』2,東京大学出版会,1995年,後に加藤『現代資本主義と福祉国家』第6章,ミネルヴァ書房,2006年)の一部を読んで設問に答えて貰う読み取りを行なってみた。
しかし,8ページ分読んでもらおうとしただけで時間オーバーしたり,専門論文のためか「日本語が理解できなかった」と散々な評判であった。
今年は別の文献をと考えていたが,適切なものが見つからなかったので,序論的部分を削って正味6ページで再チャレンジしようと考えている。
もとより加藤論文は三段階論の必要性自体を説いたものではない。宇野三段階論の特徴と問題点を指摘した上で自身の現代資本主義へのアプローチを示したものである。
そこで,三段階論の必要性自体はテキスト第4章の解説で行ない,加藤論文には,段階論の現代資本主義への適用の仕方,三段階論の意義を学生に示し,現代と資本主義の関係を考えて貰うことを期待している。
来週火曜日の授業時間に読み合わせ,5月11日までに学生に設問「宇野と加藤の現代資本主義の位置づけの違い」への答えをBlackboardに入力して貰う予定である。
さて,どういう解答,感想が得られるか,楽しみである。
4月19日 講義資料を作り,Blackboardにアップロードしたという記憶しかない。ジムの後,寄ったファミレスは学生,しかも20前後の若い学生で一杯。大学病院の近くなので医学部の学生か。
4月20日 7時発の高速バスが満席で素通りされ,10分後のバスも1名のみの空きで乗車。「経済原論」は資本主義的生産様式の生成。その後,上述の来週火曜日の講義資料作成。ジムにて5km走復活3日目。脚がパンパン。走り出しは脚が重いが,数分もすると,脚のことより完走までの残り時間ばかり考えて脚のことは忘れてしまう。昨日のファミレスと同じ系列店なのにほんの数百m離れているだけで学生より社会人が圧倒的に多いから不思議。
2010年4月19日月曜日
作品と資料
日曜日の日経読書欄に,先日亡くなった井上ひさしの『井上ひさし全選評』が載っていた。
書評というより紹介文が気に入ったので,買おうと思ったが,税抜き5,800円に目が行って止めた。
なるほど文学賞や演劇賞の選考時の選評を網羅すれば,それなりの紙幅,費用をようするであろう。
しかし,素材の取捨選択,構成の推敲があってこその作品である。
網羅するは事務作業,編集作業であって作品ではない。
著者になっている本人の意思であろうが,残念でならない。
4月17日 全国的に4月半ばの珍しい降雪。しかも朝から「深々と」降っていた。終始自宅。
4月18日 母を駅まで車で送る。日曜の朝とあって,信号以外に停車することもなく,10分前後で到着。根岸のオートバックス併設のロイヤルホストにてモーニングを取りながら構成の推敲。背中の凝りがひどく,昼ジムにてリラクゼーション・マッサージ。「肩が硬く押せません」「太腿も左だけ硬いです」。自宅に戻って楽天戦のネット中継。夕方再びジム。マシーンの後、トレッドミルの上をジョギング。走るのは久しぶりなので,最初は時速8km,徐々にスピードを上げて30分で5km。帰りの自転車を漕ぐ足が棒のよう。ファミレス。
4月19日 早朝7時から3便続けて高速バス満員のためバス停を素通り。仕方なく,始発の県庁前まで移動。
書評というより紹介文が気に入ったので,買おうと思ったが,税抜き5,800円に目が行って止めた。
なるほど文学賞や演劇賞の選考時の選評を網羅すれば,それなりの紙幅,費用をようするであろう。
しかし,素材の取捨選択,構成の推敲があってこその作品である。
網羅するは事務作業,編集作業であって作品ではない。
著者になっている本人の意思であろうが,残念でならない。
4月17日 全国的に4月半ばの珍しい降雪。しかも朝から「深々と」降っていた。終始自宅。
4月18日 母を駅まで車で送る。日曜の朝とあって,信号以外に停車することもなく,10分前後で到着。根岸のオートバックス併設のロイヤルホストにてモーニングを取りながら構成の推敲。背中の凝りがひどく,昼ジムにてリラクゼーション・マッサージ。「肩が硬く押せません」「太腿も左だけ硬いです」。自宅に戻って楽天戦のネット中継。夕方再びジム。マシーンの後、トレッドミルの上をジョギング。走るのは久しぶりなので,最初は時速8km,徐々にスピードを上げて30分で5km。帰りの自転車を漕ぐ足が棒のよう。ファミレス。
4月19日 早朝7時から3便続けて高速バス満員のためバス停を素通り。仕方なく,始発の県庁前まで移動。
2010年4月15日木曜日
新聞の裏読み
主要各紙を購読していた宇野弘蔵は,日本の新聞の報道はどれも大差ないのになぜそんなに沢山の新聞を購読しているのかと尋ねられて「連載小説は違うじゃないか」と答えたという。
大差ない報道は,見解の分れる微妙だが大事なことに触れることを各社ためらっているからだと思われる。したがって,新聞報道をそのまま鵜呑みにするのではなく,裏の隠された意図を汲み取る裏読みが求められる。
しかし,ここで言う裏読みはその意味ではない。
最終面好き,ということだ。
日本経済新聞の最終面はいわゆる文化面だ。
左列は上に美術欄。下にコンサートなどの「文化往来」,
右列は上に「私の履歴書」,下に「交友抄」,
真ん中に「文化」欄が配置されている。
自分は美術の素養はほとんどなく,演劇やコンサートに行くことも稀なので,勢いもっぱら左半分に目を向ける(他意はない^^;)。
といっても,功成り名を遂げた者が来歴を長々と綴ったり,「虎の威を借りる」がごとく交友関係の披露は鼻につくだけで,毎日毎日付き合ってはいられない。
そこに行くとど真ん中に陣取っている「文化」欄は腰が低い。
最先端や流行の文化を扱っているわけではなく,小説家の近況や好事家のコレクト歴が淡々と綴られていて,心地よい。
最近のテーマを,手元にある日経を例に挙げると,「小唄好き政財芸界の粋人」(中田一男),「横浜の近代建築追い求め」(岡義男),「手作り列車どこまでも」(八津川栄造),「マンドリン共に歩み100年」(山口寛),「生涯の師ブルース・リー」(中村頼永),「絵巻息づくハワイ移民」(北條楽只)。
言っては失礼だが,いずれもB級で,こんなことにこだわる人もいるんだなぁ,と思うと何だが文化の厚みを感じる。フロンティアだけが文化ではない。既成文化の受容ばかりでなく,能動的に探求する姿勢こそ文化の厚みを表わしているのではないか。
しかし,ここで日経の裏面読みを勧めるのはそれだけではない。
現在連載中の「私の履歴書」に魅せられているからである。
有り体に言うと,映画監督との往時の不倫が赤裸々に語られている。
ある映画で一緒になると,絵コンテによる説明がユーモラスで惹かれ,映画館でデートをするようになった。出会って1年目に「私は深刻すぎて喜劇的な耳を疑うようなせりふを聞くことになる。『妻とうまくいっていなくて別居している。きちんとしたら君と結婚したい、春までには……』」
ところが「春の約束は、夏になり、秋を迎え、また春になり7年の月日がたつことになってしまった」。「それでも会えるときは幸せだった。ふたりだけの部屋で監督の描く絵コンテを見ながら映画の構想を聞くときは同じ夢を見て、笑うこともできた」。
しかし,そう長くは続かない。他方で,共演した萬屋錦之助からたちまちプロポーズされてしまう。監督にそれを伝えると君には歌舞伎役者の妻は務められないと止められる。やがて金之助の誠実さにひかれ,別れを決断し監督に告げる。「監督はカッとなって『どうしても別れたいなら、今まで君に注いできた愛情の責任を取れ。自分にも考えがある。明日の新聞を見ろ!』、そう言ってソバのガラスの花瓶を床に叩きつけとび出した」。心配になって一晩中探し回った果てに親友からようやく消息を得る。『プリンスホテルのプール、元気に泳いでいたわよ。私に昨日ちょっとやり過ぎてねぇと照れて言ったけど』」。
まさか日本経済新聞でこんな直截な表現を目にするとは思わなかった。
大抵早朝のバス停か高速バスの中で日経を眺めているが,一遍に目が醒めた。
報われなかった不倫関係が詳細に述べられているが,ちっとも暗くない。
「私の履歴書」は日経記者がリライトしているらしいが,じめじめした暗さが出ないのはひとえに本人の性格故であろう。
小説を連載中に読むことをしない自分の場合,教員談話室で何紙も読むのかと問われれば,きっと「文化面は各紙全然違うじゃないか」と答えたに違いない。
4月15日 用事を済ませて登校。講義準備等で終わる。帰りに久しぶりにジム。
4月16日 「経済原論」
は経済と経済学,紀要編集委員会。教養セミナー「格差を考える」ガイダンス。「経済原論演習」
は研究生の周さんとマン・ツー・ウーマンで奥村宏『法人資本主義の構造』第1章。肝心なところで日本語表現が熟れておらず,筆談。
大差ない報道は,見解の分れる微妙だが大事なことに触れることを各社ためらっているからだと思われる。したがって,新聞報道をそのまま鵜呑みにするのではなく,裏の隠された意図を汲み取る裏読みが求められる。
しかし,ここで言う裏読みはその意味ではない。
最終面好き,ということだ。
日本経済新聞の最終面はいわゆる文化面だ。
左列は上に美術欄。下にコンサートなどの「文化往来」,
右列は上に「私の履歴書」,下に「交友抄」,
真ん中に「文化」欄が配置されている。
自分は美術の素養はほとんどなく,演劇やコンサートに行くことも稀なので,勢いもっぱら左半分に目を向ける(他意はない^^;)。
といっても,功成り名を遂げた者が来歴を長々と綴ったり,「虎の威を借りる」がごとく交友関係の披露は鼻につくだけで,毎日毎日付き合ってはいられない。
そこに行くとど真ん中に陣取っている「文化」欄は腰が低い。
最先端や流行の文化を扱っているわけではなく,小説家の近況や好事家のコレクト歴が淡々と綴られていて,心地よい。
最近のテーマを,手元にある日経を例に挙げると,「小唄好き政財芸界の粋人」(中田一男),「横浜の近代建築追い求め」(岡義男),「手作り列車どこまでも」(八津川栄造),「マンドリン共に歩み100年」(山口寛),「生涯の師ブルース・リー」(中村頼永),「絵巻息づくハワイ移民」(北條楽只)。
言っては失礼だが,いずれもB級で,こんなことにこだわる人もいるんだなぁ,と思うと何だが文化の厚みを感じる。フロンティアだけが文化ではない。既成文化の受容ばかりでなく,能動的に探求する姿勢こそ文化の厚みを表わしているのではないか。
しかし,ここで日経の裏面読みを勧めるのはそれだけではない。
現在連載中の「私の履歴書」に魅せられているからである。
有り体に言うと,映画監督との往時の不倫が赤裸々に語られている。
ある映画で一緒になると,絵コンテによる説明がユーモラスで惹かれ,映画館でデートをするようになった。出会って1年目に「私は深刻すぎて喜劇的な耳を疑うようなせりふを聞くことになる。『妻とうまくいっていなくて別居している。きちんとしたら君と結婚したい、春までには……』」
ところが「春の約束は、夏になり、秋を迎え、また春になり7年の月日がたつことになってしまった」。「それでも会えるときは幸せだった。ふたりだけの部屋で監督の描く絵コンテを見ながら映画の構想を聞くときは同じ夢を見て、笑うこともできた」。
しかし,そう長くは続かない。他方で,共演した萬屋錦之助からたちまちプロポーズされてしまう。監督にそれを伝えると君には歌舞伎役者の妻は務められないと止められる。やがて金之助の誠実さにひかれ,別れを決断し監督に告げる。「監督はカッとなって『どうしても別れたいなら、今まで君に注いできた愛情の責任を取れ。自分にも考えがある。明日の新聞を見ろ!』、そう言ってソバのガラスの花瓶を床に叩きつけとび出した」。心配になって一晩中探し回った果てに親友からようやく消息を得る。『プリンスホテルのプール、元気に泳いでいたわよ。私に昨日ちょっとやり過ぎてねぇと照れて言ったけど』」。
まさか日本経済新聞でこんな直截な表現を目にするとは思わなかった。
大抵早朝のバス停か高速バスの中で日経を眺めているが,一遍に目が醒めた。
報われなかった不倫関係が詳細に述べられているが,ちっとも暗くない。
「私の履歴書」は日経記者がリライトしているらしいが,じめじめした暗さが出ないのはひとえに本人の性格故であろう。
小説を連載中に読むことをしない自分の場合,教員談話室で何紙も読むのかと問われれば,きっと「文化面は各紙全然違うじゃないか」と答えたに違いない。
4月15日 用事を済ませて登校。講義準備等で終わる。帰りに久しぶりにジム。
4月16日 「経済原論」
は経済と経済学,紀要編集委員会。教養セミナー「格差を考える」ガイダンス。「経済原論演習」
は研究生の周さんとマン・ツー・ウーマンで奥村宏『法人資本主義の構造』第1章。肝心なところで日本語表現が熟れておらず,筆談。
2010年4月14日水曜日
いよいよ開幕
今週から講義が始まった。
初回は科目の紹介だけなのだが,その準備,仮登録の追加,取消などがあり気ぜわしい。
授業支援システムBlackboardは受講生が確定した後に利用できる建前だが,それ以前に利用するためには受講生の学生番号と氏名を担当事務に連絡しなければならない。しかし,どの科目も開講したばかりだから,履修希望の追加や登録がある。
また春休みが実質ない状態で年度末を過ごし,講義日程の細部は詰めていなかった。日程組み替えの検討,つまり1階ごとの講義テーマの追加・削除も新学期が始まる直に泥縄式に行なっている。
ガイダンスだけでこれだけ忙しいのだから,週1回ないし週2回ペースで講義が始まるとどうなることやら。
直ちには授業以外のことに手が回らない状況だが,大学教員である以上,この喧噪の中で自分のテーマを追求せざるを得ない。
キャンプ,オープン戦を通じて課題を克服しきらないまま新シーズンを迎えたプロ野球選手と同じで「いよいよ開幕」といったところか。
3月14日 昨日の3便続けて置いてけぼりに懲りて始発より高速バス乗車。「市場と組織」「地域社会論」の初回ガイダンス。後者は立ち見多数のため次週より昨年度と同じ103番教室に変更。母より半年毎の検診「異常なし」。
初回は科目の紹介だけなのだが,その準備,仮登録の追加,取消などがあり気ぜわしい。
授業支援システムBlackboardは受講生が確定した後に利用できる建前だが,それ以前に利用するためには受講生の学生番号と氏名を担当事務に連絡しなければならない。しかし,どの科目も開講したばかりだから,履修希望の追加や登録がある。
また春休みが実質ない状態で年度末を過ごし,講義日程の細部は詰めていなかった。日程組み替えの検討,つまり1階ごとの講義テーマの追加・削除も新学期が始まる直に泥縄式に行なっている。
ガイダンスだけでこれだけ忙しいのだから,週1回ないし週2回ペースで講義が始まるとどうなることやら。
直ちには授業以外のことに手が回らない状況だが,大学教員である以上,この喧噪の中で自分のテーマを追求せざるを得ない。
キャンプ,オープン戦を通じて課題を克服しきらないまま新シーズンを迎えたプロ野球選手と同じで「いよいよ開幕」といったところか。
3月14日 昨日の3便続けて置いてけぼりに懲りて始発より高速バス乗車。「市場と組織」「地域社会論」の初回ガイダンス。後者は立ち見多数のため次週より昨年度と同じ103番教室に変更。母より半年毎の検診「異常なし」。
2010年4月12日月曜日
お礼・その2
田舎から術後の定期検査のために出てきた母を迎えるために年休を取った。
ついでにディーラーにタイヤ交換を依頼しその待ち時間を利用してファミレスでこの度寄贈を受けた馬場宏二「経済成長論再考」(大東文化大『経済論集』94,2010)を読み返し,遠山弘徳『資本主義の多様性分析のために』の第1章を拝読した。
1,2度読んだだけでは,お二人の見解を理解したとはとても言えないが,批判的経済学であることの意味を考えさせられた。
馬場氏は,周知の過剰富裕化論の立場から経済成長を無批判に是とする志向を批判されている。
遠山氏は,新古典派の収斂論への対抗から,「制度的補完性」という枠組みで資本主義の多様性を分析し,様々に並立する資本主義諸体制の経済パフォーマンスを検証されている。
お二人の指向性は全く異なるが,前日の経済ないし経済思考・潮流を批判するという実績的意図が明確に感じられる。
しかし,お二人の著作を読んでいるうちに,批判的経済学がそもそもどういう意味で実践的たり得るか,疑問に感じた。
馬場氏の,過剰富裕化論や過剰商品化論に院生時代に接して大変な感銘と刺激を受けた。しかし,改めて拝読して,富裕化や商品化を「過剰」という見方や過剰の結果としての人類滅亡という指摘には俄に賛同しがたいものがある。人類滅亡という預言には,リカードゥの資本蓄積の自然肯定論やマルクスの利潤率の傾向的低下法則論のような宿命論ないし単直線的な推理に強烈な違和感を覚える。あるいは最近の自分の関心で言えば,生産における場合と異なり,消費に「過剰」を関することにも,これまた強烈な違和感を覚える。
他方,遠山氏の新古典派批判は頷けるとしても,そのために各国経済の,労使関係のパターンと経済パフォーマンスとの間に,一義的な関係があるかのような理解にはこれまた違和感を覚える。賃金交渉制度や貨幣レジームと経済パフォーマンスとの間に一義的関係があるということは,遠山氏らが批判する収斂論と同じ見方を感じるからである。
お二人の著作からは現実経済への強い関心,実践的意図を感じるものの,理論的考察から一義的な答えが出てくるものではないであろう。
では何のための批判的経済学か,あるいは端的にマルクス経済学か?
資本主義経済が問題なのは,人類を滅亡させるからではなく,人間の営みを一義的に(効率性原則で)規定することにある(滅亡しなくても存立に必要な以上にストレスがかかる),
効率的な経済システムは新古典派モデルだけではない,
あるいは「効率的」であるか否かは単純には計れない,
ということを明らかにするためではないだろうか?
4月12日 昼前タイヤ交換のため家を出ようとすると,駐車場の車には薄く雨の層ができていた。ワイパーでは除こうとところ,結晶体だった。
4月13日 今週から講義開始のためか,7時台の高速バスに学生多数乗車。助手席も満席で3便がバス停を素通り。6時半過ぎに自宅を出て9時前に大学に到着。「経済原論」初回ガイダンス。今週分の講義資料作成。Blackboardにアップロード。
ついでにディーラーにタイヤ交換を依頼しその待ち時間を利用してファミレスでこの度寄贈を受けた馬場宏二「経済成長論再考」(大東文化大『経済論集』94,2010)を読み返し,遠山弘徳『資本主義の多様性分析のために』の第1章を拝読した。
1,2度読んだだけでは,お二人の見解を理解したとはとても言えないが,批判的経済学であることの意味を考えさせられた。
馬場氏は,周知の過剰富裕化論の立場から経済成長を無批判に是とする志向を批判されている。
遠山氏は,新古典派の収斂論への対抗から,「制度的補完性」という枠組みで資本主義の多様性を分析し,様々に並立する資本主義諸体制の経済パフォーマンスを検証されている。
お二人の指向性は全く異なるが,前日の経済ないし経済思考・潮流を批判するという実績的意図が明確に感じられる。
しかし,お二人の著作を読んでいるうちに,批判的経済学がそもそもどういう意味で実践的たり得るか,疑問に感じた。
馬場氏の,過剰富裕化論や過剰商品化論に院生時代に接して大変な感銘と刺激を受けた。しかし,改めて拝読して,富裕化や商品化を「過剰」という見方や過剰の結果としての人類滅亡という指摘には俄に賛同しがたいものがある。人類滅亡という預言には,リカードゥの資本蓄積の自然肯定論やマルクスの利潤率の傾向的低下法則論のような宿命論ないし単直線的な推理に強烈な違和感を覚える。あるいは最近の自分の関心で言えば,生産における場合と異なり,消費に「過剰」を関することにも,これまた強烈な違和感を覚える。
他方,遠山氏の新古典派批判は頷けるとしても,そのために各国経済の,労使関係のパターンと経済パフォーマンスとの間に,一義的な関係があるかのような理解にはこれまた違和感を覚える。賃金交渉制度や貨幣レジームと経済パフォーマンスとの間に一義的関係があるということは,遠山氏らが批判する収斂論と同じ見方を感じるからである。
お二人の著作からは現実経済への強い関心,実践的意図を感じるものの,理論的考察から一義的な答えが出てくるものではないであろう。
では何のための批判的経済学か,あるいは端的にマルクス経済学か?
資本主義経済が問題なのは,人類を滅亡させるからではなく,人間の営みを一義的に(効率性原則で)規定することにある(滅亡しなくても存立に必要な以上にストレスがかかる),
効率的な経済システムは新古典派モデルだけではない,
あるいは「効率的」であるか否かは単純には計れない,
ということを明らかにするためではないだろうか?
4月12日 昼前タイヤ交換のため家を出ようとすると,駐車場の車には薄く雨の層ができていた。ワイパーでは除こうとところ,結晶体だった。
4月13日 今週から講義開始のためか,7時台の高速バスに学生多数乗車。助手席も満席で3便がバス停を素通り。6時半過ぎに自宅を出て9時前に大学に到着。「経済原論」初回ガイダンス。今週分の講義資料作成。Blackboardにアップロード。
待ちわびていたこと
東北楽天イーグルスに待ち望んだことが実現した。
昨シーズンのホーム観戦勝率は7割を超えていたのに,今シーズンはこれまでゼロだった。
3戦全敗だったのに,4月11日日曜日,田中マー君の完投勝利を見届けることができた。
それにも増して待ち望んでいたのは,ただ打率だけを参考に打線を並べる,クリーンナップは長打力があればたとえ打率が低くても据え置く,つまりただ打つだけ(守るだけ)の野球から,機を見て足を動員する柔軟な野球に転換することであった。
この日も中盤まで打線が繋がらず,リンデンの出会い頭ソロ・ホームランで1点を取っただけで終わりそう,という暗い,ハッキリ言えば「ツマンネェ」という雰囲気が漂っていたのに,7回裏,ノーアウト2,3塁から,今季打撃好調で打率3割のキャッチャー嶋基宏選手に初球スクイズを敢行させ貴重な追加点を奪い,俄然盛り上がってきた。
さらに,8回裏には二死から大物狙いばかりが目立っていた山崎武司選手がしぶとくヒットを放つと,内村賢介選手が一塁代走に入り,次打者中村紀洋選手のライト線際の2塁打の間に本塁まで駆け抜け,勝利を決定づけると,球場の盛り上がりは頂点に達した(東北楽天イーグルス4x1オリックスバッファローズ)。
こうした各人の特長,能力を最大限に活かし,全員で繋いでゆく野球こそ戦力の薄い球団に望まれていたことであろう。
(写真の,本塁を駆け抜けた内村選手が豆粒のように小さいのは身長163cmの故ではなく,望遠15倍のcoolpix L100が電池切れのため,普段持ち歩いている3.4倍のcoolpix L19で撮ったから。バックネット裏,イーグルシートからでもこのように小さくなる。嵩張ってもスポーツ観戦ではL100が離せない)
2010年4月10日土曜日
お礼
馬場宏二東大名誉教授より「経済成長論再考」(大東文化大『経済論集』94,2010),遠山弘徳静岡大学教授より『資本主義の多様性分析のために--制度と経済パフォーマンス』(ナカニシヤ出版,2010年)の寄贈を受けた。現在,目先の論文構想で拝読する暇がない。まずはお礼を申し上げる。
馬場宏二氏からは以前より寄贈を受けていた。またその見解も何度も目にし耳にている。氏の「富裕化論」は周知のところである。
遠山氏とは直接の面識がない。レギュラシオン論の立場に立って研究されている,位しか知らない。不勉強であまり著作を読んでいない。寄贈していただいて恐縮していたら,著者プロフィールに「山形大学人文学部卒業」とあった。勤務校の卒業生である。これを機会に勉強させていただこう。では,表面的か^^;。資本主義の多様性を捉える視角は明らかに異なるので,自分の理解を深める題材にさせていただこう。
4月9日 午前中のアドバイザー懇談会は3,4年生対象なのでそのままゼミ,経済原論演習の初回だ。成績表を渡す他は今後のゼミの進め方がテーマ。といっても4年生の佐藤君は就職活動の真っ盛りだ。今のところ面接も好調なようでそのまま就活に専念して欲しい。他方,研究生の周さんは来年度大学院進学を目指している。聴いてみると,四川大学時代,日本の勉強をした際には,財閥に関心を覚えたという。日本の企業集団は戦前の財閥とは性格を異にしている,と説明した上で,あまり専門専門していないと言っては失礼だが,比較的叙述が平易な奥村宏氏の『新版 法人資本主義の構造』(教養文庫,1991年)をテキストに報告して貰うことにした。
馬場宏二氏からは以前より寄贈を受けていた。またその見解も何度も目にし耳にている。氏の「富裕化論」は周知のところである。
遠山氏とは直接の面識がない。レギュラシオン論の立場に立って研究されている,位しか知らない。不勉強であまり著作を読んでいない。寄贈していただいて恐縮していたら,著者プロフィールに「山形大学人文学部卒業」とあった。勤務校の卒業生である。これを機会に勉強させていただこう。では,表面的か^^;。資本主義の多様性を捉える視角は明らかに異なるので,自分の理解を深める題材にさせていただこう。
4月9日 午前中のアドバイザー懇談会は3,4年生対象なのでそのままゼミ,経済原論演習の初回だ。成績表を渡す他は今後のゼミの進め方がテーマ。といっても4年生の佐藤君は就職活動の真っ盛りだ。今のところ面接も好調なようでそのまま就活に専念して欲しい。他方,研究生の周さんは来年度大学院進学を目指している。聴いてみると,四川大学時代,日本の勉強をした際には,財閥に関心を覚えたという。日本の企業集団は戦前の財閥とは性格を異にしている,と説明した上で,あまり専門専門していないと言っては失礼だが,比較的叙述が平易な奥村宏氏の『新版 法人資本主義の構造』(教養文庫,1991年)をテキストに報告して貰うことにした。
登録:
投稿 (Atom)