2024年12月31日火曜日

サイト移籍

 2025年1月1日よりサイト移籍予定。


2024年12月24日火曜日

晴読雨読


  先週金曜日,年内最後の授業が終わると,土曜日以降,近所の小売店とスポーツジム以外どこにも行っていない。
 学期中は火曜日と金曜日は講義時間をはんで非常勤講師控室に長居したり,それ以外の曜日もスタバ,ドトールなどカフェに出向いていたりするが,長期休暇となると,研究室代わりに使っていた講師控室が利用できない。
 またカフェも,先月末休みなく通い続け,〆切背負っているというトラウマか残っているのか,前の日の予定では出向くつもりでいても,当日になると[自宅で良いか」と登校拒否症に陥って利用しないでいる。
 そうなると,退職前に恐れたいた「毎日が日曜日]だ。
 実際[今日が何曜日か]浮かぶまでに一瞬,間ができる。

 ストレスはない方が良いのだろうが,少なすぎると[いつまでにこれとこれは成し遂げるぞ]という気分が緩む。

 晴れの日も読書,雨の日も読書では生業が立たなくなる。困ったものだ。


2024年12月20日金曜日

さて次稿

  いよいよ次稿に着手する。

 その着想は「この1ヵ月」で述べたようなことだ。

 9月の,学会問題別分科会で問題提起のあったように,搾取の説明が「マルクスの基本定理」で済まされるという理解が広まっている折,価値論の意義が問われている。
 分科会報告では,資本主義的搾取の説明には資本循環(価値の姿態変換)に則した価値増殖の説明が不可欠と説いたのだが,それを最近の価値論の動向から改めて説いてみたい。

現在,価値論ではいくつかの新しい論調,傾向が見られる。
一々説明すると長くなる,論文になってしまうので,スローガン風にまとめると,

  1. 価値の価格化
    生産論が社会的生産視角で説かれるようになり,剰余価値の増大の項から特別剰余価値規定が消え,代わりに競争論,機構論における市場価値論で示される超過利潤概念に新生産方法普及の役割が与えられるようになった。
  2. 価格の価値化
    「生産過程の確定性」「流通過程の不確定性」を価値形成の基準とする立場から流通費用の費用価格(コスト)への不計上が主張されることが一般的になった。
  3. 価値論展開における生産論の希釈化
    1.から派生して,生産論では労働,生産の考察に止め,価値論を展開しない傾向が現れてきた。他方で,価値水準の安定を社会的生産を絡めずに商品の価値規定から直接導出する論調も出てきた。

 これらの論調の淵源を辿ると,以前の論考にもその萌芽を認めることができるが,少なくとも価値論の射程を整理しなければ,「主流派経済学と対峙する」という意図に「マル経を組み立てる」試みもその成果は覚束ないであろう。

2024年12月11日水曜日

9月学会報告の要旨

  9月学会報告の要旨を送った。

 年内締め切りも,分科会の3つの報告と質疑をまとめるコーディネーターからは早めの送付を求められていたが,先月まで論文のリライトを抱えの原稿を抱え,今月になってからはその間溜めていた業務に追われていたので遅くなった。

 400字という字数制限は書き始めてみると大変厳しかったすが,報告依頼に過去2回の報告をまとめれば良いだろうと気楽に応じた末,間際になって種々詰め込んでしまった身には「結局何を言おうとしたか」整理するうえで格好の制約になった。

2024年11月23日土曜日

この1ヵ月

 更新途絶えた1ヵ月を箇条書き風に振り返ると,

  1. 今回コメントの少なかった論文リライトは後回しにして次の論文の構想に耽っていた。
    • その内容は,混線している価値と価格の位相の整理
    • 経済理論学会の問題別分科会「資本主義社会の基礎理論」では個々数年価値論が取り上げられているように,価値論,労働価値説の意義再検討の気運が高まっている。
    • その中で,宇野派では価値と労働の関係づけの稀釈化,労働,生産に関説せずに商品の価値規定自体から価値ないし価格水準の安定性を導出する動きが出ている。
    • その意図は,主流派経済学との対峙を念頭に従来の労働価値説理解に拘泥せずに価値論を見直すことにあるが,価値と労働の関係づけの稀釈化は,見方を変えると価値概念の肥大化であるから,価値概念を有さない主流派経済学との対峙,対話をかえって困難にしている。
    • 労働との関係に触れない価値論は,労働ないし社会的生産とは無関係に,価値概念それ自体から直裁に価格現象を説明しようという試みであり,価値と価格を同一平面で論じることになる。
    • 翻ってみると価値と価格の「次元の相違」を唱えてきた宇野理論の中に価値と価格の混線が見受けられる。
    • こうした混線を整理し,価値論の肥大化を抑えない限り主流派経済学との対置は困難であろう。
  2. 論文のリライトについては
    • 理解して貰えないのは,問題意識の違いが大きく寄与していると思われる。
    • したがって,単に表現を丁寧にする,という表面的修正では済まない。
    • 最終章の3つの論点それぞれについてこちらでは当然と思っていた理論背景,例えば,経済原論体系における流通論と生産論の関係,特別剰余価値概念と超過利潤概念との展開場面の違い,理論的役割の違いにまで遡って解説する必要がある。
    • 論点をその問題構制も加えて解説することになると,全面的な書き換えが必要になり,場合によっては従来論じていた細部の割愛も必要になる。
 というわけで,余裕こいていたつもりが,時間的に切羽詰まってきた。

2024年10月24日木曜日

不確定性の取り扱い

  話が長くなるので,この間考えていたことを簡単に列挙すると,
 8月末八王子合宿,SGCIME夏季研究合宿での,ある報告論文を読み直し,

  • 価値形成労働の基準
  • 流通費用の生産価格への計上の可否
・それらにともに係わる「流通過程の不確定性」の取り扱い

 今現在の疑問は,

  • 同じ論者,例えば故山口重克でも不確定性の取り扱いは異なるのではないか。
  • 「流通過程の不確定性」を根拠とした流通費用の費用価格への計上可否は価格論,現象面,すくなくとも上向法の終わりに近い場面での議論になる。
  • 費用としての不確定性を根拠とする価値形成労働は価値論での議論

 (今のところここまで)


 

2024年10月10日木曜日

晴耕雨読とはゆかない

 pすと勤め人生活で迎えるに当たってまず第一に心に浮かんだことは「毎日が日曜日では困る」ということだ。

 自宅は居心地は良いが,良すぎて気分が弛緩する。
  また同じことだが,オンとオフの使い分けが難しい。
 そこで以前は土日も近所のカフェに「出張」していた。
 しかし春先そのカフェが撤退してしまった。
 そこで4月から平日は朝から自転車を漕いで街中のカフェまで「遠征」することになった.
 2,3箇所使い分けているが,スッカリお馴染みになった。
 しかし,雨の日は自転車が使えない。
 勤め人ではない,通勤費も出ないのに,バスで行く程かとも思ってしまう。
 問題は雨の日が続いたときで,,毎日毎日同じような生活を来ることになると,自然とボルテージが下がる。

 晴耕雨読は必ずしも好ましいものではない。