2013年9月8日日曜日

八幡すずめ踊り

9月8日(日) 大崎八幡宮門前の八幡町ですずめ踊り。

朝から雨だったが,ちょうど小雨になった13時過ぎより作並街道(国道48号線)上り車線を封鎖して次々演舞。

一緒に見ていた母親は「みんなで街を盛り上げようとしているのが良い」と,花笠祭りを見学した時と同じ感想。
少子化で夏祭りの子供御輿が絶えて久しい田舎から出てきたため,次々に行進する祭りに感心しきり。





2013年9月7日土曜日

感想は控える





9月6日は岩手の高校訪問。

面談の内容を勝手に漏らすわけにはゆかないので,外形的事実を一つ二つ。

理系志向が高まっており,文系クラスから理系クラスへの編成替え(文系1減理系1増)が生じている。

但し,理系クラスには看護志望も含まれる。

最近の高校生は純粋に「将来,何をやりたいか」で志望先を選ぶ傾向にあるが,
地方都市で目に付く職業と言えば,教師と看護師くらいで(サラリーマンでは仕事の中味が見えない),
文系では教師志望,理系では看護士志望が増えているようだ。

「身近なものを選択する」傾向は大学生についても感じるが,このことについての感想は控える^^;。

2013年9月5日木曜日

あげつまにて

9月4日(水)  「揚げ妻」 にて非常勤講師にお迎えした片桐幸雄さんの歓迎慰労会。
左に田中史郎宮城学院女子大教授,右に半田正樹東北学院大学教授。

2013年9月3日火曜日

学生目線

9月3日(火) 午前中,県政に関し新聞記事検索。
昼休み,非常勤講師にお招きしたKさんとダイニングヘリアン。
午後,第15回基盤教育ワークショップ「学生による学生支援」
就職か,図書館,大学生協それぞれでの学生の関与が一般学生にとってはどううけとめられているか,が知りたかった(図書館はアンケートを採っていたが)。
というのも参加している学生の満足度は高いということは本人の報告からハッキリわかるが,学生の参加といっても数名から十数名の参加で全体の学生からすれば僅かだからだ。

これは自分が進路指導委員を務めていた時も課題であったが,
意識,ここでは就労意識の高い学生は自ら必要なセミナーを選択して積極的に参加するから,全く問題ないが,
自分からは参加しない学生,参加していても就活の途中で頓挫するなどして参加しなくなった学生をどのようにフォローしてゆくか,が最大の問題だからだ。

もちろん一方的な指導はすべきでもないし,効果も見込めない。
しかし,完全に放っておくわけにもゆかない。
初職時に非正規雇用になる確率が高くなっている今日では,本人が想像する以上に不利益が及ぶから。

その間合いの取り方は,学生自身の方が目線に差が小さく,適している
その話を聴きたかった。

2013年9月2日月曜日

完オフも徘徊先は同じ

8月末で一仕事終わり,9月になると会議がハッタリ,月末締め切りの仕事が控えているなどあるため,8月31日(土),9月1日(日)を完オフとした。

しかし,予定を立てていなかったので,
自宅にある本を読んだだけで終わった。

1つは葉室麟『風の軍師 黒田勘兵衛』(文春文庫)。
もう1つは横山秀夫『動機』(同)

前者は葉室ファンの母が買ったもの。
史実(本能寺の変,秀吉の朝鮮出兵,関ヶ原の戦い)に想を得たファンタジー,というか「こうも解釈できるし,その方がワクワクするだろう」という空想。歴史物として期待すると,肩すかし。
その意味では,歴史物好きの母が好いていることの方がファンタジー!

後者はGW頃,ブックオフで数冊横山作品ばかり買った時の1つ。
心理を突いたトリック4篇。
推理小説はほとんど読まないので,トリック自体についてはわからない。
また警察内部を描いているといっても,腐敗・不正の描写は新味は感じない。
どの組織にも腐敗の温床はあり,あるい程度の確実で実現・露呈している。

しかし,警察も地方新聞も己の人事の行く末を気にする人々の集まりということを描き出した,という意味では面白い。
テレビドラマだと,出世欲のみのキャリアvs評価に関係なく職務に専念する地元採用職員というステレオタイプの描き方に終始しているからだ。
日本推理作家協会賞受賞の表題作は上品。「逆転の夏」は手が込んでいる(意外)。他2つは普通^^;


月末は締め切りに追われていながら,仕事が進まず,気晴らしのつもりのFacebook投稿を頻繁に繰り返してしまったが,
いざ完全に休養となると,することもなく途惑ってしまう。
おまけに自宅のソファーでは居眠りを繰り返し先に進まないので,
近所のドトールコーヒーに逃げ込んで,一服。ならぬ一読。
結局,仕事に追われていたいつもと変わらない行動パターンだった。

2013年8月28日水曜日

重役出勤は禁物

8月26日 所用のため昼前登校する。
旧談話室で食事を採っていると、若手教員とデフレネタで盛り上がる。
デフレ=不況,量的金融緩和でインフレにという教員に,デフレは必ずしも不況でないと主張して,1時間少々。(経済学が本業だが,細かい話は省略^^;)。

論文数件コピーのうえスキャンしてPDF化すると下校。

やはり朝から登校すべきか。

幕間の難しさ

8月25日(日) 11時よりホテルKKR仙台にて馬渡尚憲先生を偲ぶ集い。


夕方.朝日新聞のいとうせいこうによる書評を思い出して.犬塚弘『最後のクレージー』(講談社)。インタビューによる一代記。


あとがきにインタビュアーが「人を笑わせることと人に笑われること」の違いを述べている。クレージーキャッツが前者で.最近の笑いが後者だという位置付けだとすれば.違うのではないか?


笑いは演じている人の話や話しぶりが笑われる点に違いはない。
古典落語だって.おどけた身振り.顔づくりする演者がいる(あの桂枝雀でさえ)。
話の枕レベルだと.たわいもない私生活の一端を紹介して笑いをとることはしょっちゅうだ。

その点では演奏中に音が出なくなって盥で頭叩いた途端に音が出始めるだとか.リズムが途中で狂ってくるとか.脚でトロンボーンを弾くなどといったクレージーキャッツの方が「演者が笑われる」類だろう。

違いは今の方が笑いそれ自体として売り出しているのに対し.
クレージーキャッツはあくまでショーの幕間の.邪魔にならない笑いから出発している点だ。

もちろん『おとなの漫画』は純粋にコント番組だが,
彼らはあくまで演奏の合間に笑い,というスタイルだったように記憶する。

最近はその「合間」「幕間」が成り立ちにくい。
もっとも視聴者の関心を惹く,笑いだけで番組を繕うとするから,
新ネタや即興中心になり,
毎度おなじみの笑いは「古くさい」「類型的な」「他愛もない」笑いと分類され,
正月でもなければテレビに登場しにくくなった。

他方で,歌番組の方も新曲中心になっているので,
スタンダードナンバーを次々に,という番組は成り立ちにくくなった。

実際は「類型的」「他愛もない」ではなく,唄を邪魔しない笑いであったが,
スタンダードナンバーを流す番組もクラブも成り立ちにくくなると,
笑い一本で勝負するタイプではないので放送業界とは疎遠となる。

新曲,オリジナル曲,新ネタ中心というのは見る方も演じる方も消耗する,消耗が早い、と思うのだが,
みな余裕がなくなったのか,
スタンダードナンバー中心,類型的ネタ中心の番組は視聴率という意味では受け容れられなくなった。