2013年7月10日水曜日

粗忽

7月8日(月) 基盤教育「市場と人間の生活」は生活保護の現状について。午後3時頃下校。

 昨晩コンタクトレンズの片方を紛失したため。
 視力・眼底検査等があり,1時間半位で終了。
 1年保証の期間内のため,紛失分は約5千円(といっても,両眼更新された)。

 コンタクトレンズは既に2,30年以上,利用しているが, これまで紛失したことは1,2度しかなかった。しかし,この数年は毎年か2年に1回位破損もしている。
 破損は現在のメーカーに替えて以降のことだから,素材,品質の問題かも知れない。

生来,粗忽者である。
失敗談には枚挙に暇がない。

しかし,かつてはコンタクトレンズを破損したことも紛失したこともほとんどなかった。
以前レンズを着脱していた洗面台は寮の流しだったり,狭い洗面台だったり,ウッカリすると流出,紛失の虞が大きかった。
にもかかわらずそういうところでは決して紛失せず,
洗面台が大きくなった最近,自宅において紛失したり,最終的には見つかっても紛失騒ぎを起こしている。

加齢による注意および動作の緩慢さが原因かな。

2013年7月5日金曜日

一般向けと専門向け

木曜日は教養セミナー「格差を考える」と
2年生向け「専門基礎演習」。

今までは同じテキストを用い,2週で1章という同じスペースで進んでいた。
専門外の1年生と専門の2年生はレジュメの要約の仕方から,発せられる質問も異なり,興味深かった。

しかし,共通テキストも,先週で終わり,
今週からは各チームが選んだテーマ報告。

 教養セミナー「格差を考える」は生活保護,「専門基礎演習」はTPP。

なるほどテーマ選択も一般向けと専門向けと対照的?

 教養セミナー「格差を考える」は 報告チーム4名の内2名が大幅遅刻。
特にレジュメ作成の中心人物がおらず,質問に答えられない箇所も。
「あり得ない」「責任を問う」(メンバーのコメント)。
しかし,レジュメ自体は「丁寧」「要を得ていた」(同)。
なるほど一般向け。

専門基礎演習」はTPPについて
「地域格差」(への影響),「医療問題」「雇用」と分野を分けて,
メリット,デメリットを提示。
そのうえで,最後に「TPPに賛成か反対か」を問うていた。
いかにも専門的だ。
「 知らなかった影響をわかりやすく解説してくれた。」「様々な観点から議論できた」


しかし,TPPは難しい。
政治の場でも議論が噛み合っていない。

反対派は「例外なき自由競争」という原則を盾に種々の弊害を指摘している。
他方, 政府 は各国の「聖域」は認められており, 農産物5品目」(コメや麦、牛肉、乳製品、砂糖)は守ると主張し,
公的医療制度(公的医療保険,混合診療)や単純労働者の移動や医師や看護師など個別の資格の相互承認は TPP交渉で 議論になっていない,と躱しているからだ。

したがって,単にメリット,デメリットを挙げるだけでは「隔靴掻痒」の感を拭えない。
「踏み込んだ説明はなく議論しにくかった」

専門といっても基礎演習だ。
各人,未だ習っていないことも多い。
しかし,関心はあり,テーマも各人の専攻する分野・科目と隣接しているはずだ。
それぞれの専門から「一歩踏み込んで」分析し,解説する冒険があっても良いだろう。








2013年7月1日月曜日

不審電話

6月29日,土曜日,早朝外出。
駅前スタバ,国分町スタバと行脚して自宅まで自転車漕いでいる最中に電話2回。

2度もとは緊急のさては来週講義をお願いしている学外の方からかな,と思ったが
帰宅すると折り返してジムに行ったため,電話するのを忘れていた。

2時間後に発信元に電話を掛けてみると,某地方の警察分署。
窓口の者は電話した記憶がない,という。

しかし,電話の主が警察であることには違いない。
警察が何の用だろう,といろいろヨクナイことをそうぞうした。

数分後,再び電話。
「xxxxx分署のxxxxdです。
わざわざ電話道も。
実はある事件に係わる人物に連絡とろうしたんですよ。
しかし,その電話番号は全く別の氏名の方だとわかりましたので,
もうこの件でこちらか電話することはありません。」

不審電話の真相は不審人物の電話番号がマイナンバーだった,ということ。
落ち着かない一件落着。

6月30日日曜日は早朝,女子サッカードイツ4x2日本途中からTV観戦。
自宅近くのドトールコーヒー,合間に講義の準備,ジム通いもほとんど進展なし。

2013年6月28日金曜日

お礼


信州大学いらっしゃった永谷清先生より御著書『市場経済という妖怪』を送っていただいた。

3月末の研究会でご一緒した際,回ってきた送付先リストに自分の氏名と勤務先をちゃっかりを書き込んでいたのだ。
永谷先生。感謝しております。

届いたのは先週末。
早速裁断自炊^^(失礼!)


序論を読ませていただいた限りでは,
市場経済と資本主義を峻別して「国境の
ない市場経済」という視点から現代経済に切り込もう路とされているように理解した。
 
自分自身は両者を特に分けていない,むしろ一体視してきたために,今日のような「社会主義後の」資本主義では学生に経済原論の意義をアピールするのに苦労している。
 
両者を峻別される先生がどのように現代を腑分けされるのか,本論を楽しみにしたい。

案ずるより産むが易し

先週木曜日,1回切りの講義,総合口座III(経済・経営系)での「労働市場のセーフティ・ネットを学ぼう」。
先占階?述べたように,通常の内部労働市場の解説と,昨年の公開講義セーフティ・ネットの話を折衷したスタイルのため,スライドに載っていても解説されていない用語を口頭で一つ一つ解説していたら,最後は時間切れ。
内心「こりゃ,失敗だぁ」と思って,学生の提出する「メモ」にもすぐには目を通せなかった。

月曜日24日になってようやく気持ちが落ち着いて^^,メモを読んでみると,
文字通りメモで,講義で話したキーワードなどがするしてあったり,内容を短く要約しているものがほとんどだった。
仲には冒頭部分だけ要約してるもののもあったが,授業への感想,要望は限られていた。

それでも,「グラフが多用され具体的でわかりやすかった」「丁寧に一つ一つ解説していた」という感想がある反面,
「声が聴き取りづらい」板書が見えずらかった」という指摘もあった。

また「これから社会に出るに当たって参考になることが多かった」という感想もあり,
全体構成からすれば,前に時間をとりすぎてアンバランスだったかも知れないが,
聴いている方は局面局面でもわかって貰えたことが窺えた。

案ずるより産むが易し,ということだろうか。

 6月24日 基盤教育「市場と人間の生活」は雇用調整。

 6月25日 「経済原論」は商業信用。

 6月26日 「市場と組織」模糊要調整。

 6月27日 教養セミナー「格差を考える」(13年度前期),2年生ゼミ「専門基礎演習」は共に橘木俊詔「格差社会」最終第5章後半。次回からはテーマ報告


 6月28日 「経済原論」は銀行信用。今日の確認問題は「銀行券はどういう意味で特別な手形か」はオンラインではなく,その場でカードに記入提出。

2013年6月24日月曜日

今日のお話でした

最近,大学での出来事をほとんど記していない。
講義党を下記連ねても,「小学生の日記」を出ないし。
関心のあることを書くと,差し障りが出てくるし^^,で止めていた。

しかし,当初週内氏月単位で更新していたのを大学時代の同級生のアドバイスで「極私的な」日記スタイルに改めたのが,サイト更新のキッカケなので,久し振りに最近の出来事を記す。

6月20日 教養セミナー「格差を考える」と2年生ゼミ「専門基礎演習」はどちらも橘木俊詔『格差社会』を終えた後,1年生向け「総合講座III」の講義。同講座は経済・経営系の教員が自分の担当科目を1回切りで解説する。1回なので,新聞記事を読める程度の内容水準,という設定になっている。自分は「経済原論」そのままでは1度で話すのは難しいので,例年,内部労働市場の解説をしている。今回はそれに加え,昨年度公開講座で話したセーフティ・ネットの話を加えよう,と考えた。時事問題に関わらせた方がより身近に感じられて貰える,と考えたからだが,結果は思わしくなかった。内容がスライドギリギリ24枚で詰め込み気味の上に,途中でスライドで解説している以上に用語の解説に時間を割いたために,最後は端折り気味となってしまい,最後のページの確認問題(記述式)の解説を残してしまった。

6月21日 朝一番「経済原論」は地代論。テキストの地代表の数値を説明するために,算数レベルだが計算をしてみると,そのこと自体が学生には難しい,苦手意識を持たれるようだ。

6月22日 ノートPCをデイパックに詰めて外出。しかし,PC起動させたのはほんの僅かの間でほとんど進捗なし。これが日曜日も同じ。

6月23日 4時に起床して,サッカー・フェデレーションカップ「対メキシコ戦」観戦。3連敗でもはや言葉なし。2度寝した後,近くの歯科医院にて矯正治療。その後,ドトール,ジム,ロイヤルホストと渡り歩いても,進展なし。

6月24日 基盤教育「市場と人間の生活」は雇用調整。終了後,学生の質問「リストラと首は同じですか」リストラとは事業再構築(restruction)のことで,雇用調整以外に事業部門の再編成(不採算部門の売却,廃止等)があります。労働投入量の調整である雇用調整には様々な方法があり,正社員にとっては最後の手段がクビ,馘首ですが,非正規雇用の場合,雇用調整即解雇,というのが今日のお話でした。

2013年6月19日水曜日

回想記も秀逸

10日ほど前の記事,アップし忘れていた。

6月18日寝る前,
日付は19日になっていたが,
宮尾登美子「柝(き)の音(ね)の消えるまで――追悼市川団十郎丈」(文芸誌『新潮』)を読んだ。

宮尾『きのね』はまだ読んだことはないが,
かつて読んでいた母が朝日新聞の上記回想記紹介記事を目にして同誌を買ってきたからだ。

内容は,紹介記事の通り,先ごろ亡くなった十二代目市川団十郎の両親(父が十一代目團十郎,特に母親のことを小説にするに公言しているうちに、歌舞伎のプロモーター?松竹から圧力がかかったものの,跳ねのけ,念願通り小説(朝日新聞連載小説『きのね』)にした,というものだ。

個人的に面白かったのは2点。

一つは,宮尾は松竹からの圧力は気に求めなかったが,母親のことを記すに当たって十二代團十郎に「絶対触れて欲しくない点があれば,予め教えて欲しい」と伝えたものの返事がなかったという点だ。第三者を交えて,また両者で,確か計3回くらいは面談しているが,十二代目は宮尾の問に対しては直接返事をしなかった。結局,宮尾がしびれを切らせて,特に考慮せず,連載小説をものにした。

歌舞伎の総本家,市川家の統領という点からも迂闊なことは言えなかったのかも知れないし,もともと相手に厳しく出ることを好まなかった(察して欲しいと思っていたのかもしれない)。いずれにしても技巧派ではないが「存在自体,所作自体が歌舞伎」という十二代目のイメージにぴったりだ。

もう1つは宮尾個人の話で,
終戦後,身を寄せた耕地の農家では,農閑期のひととき,村人総出で芝居,歌舞伎を演じるのを楽しみにしていた,という点だ。
役者もそうだが,舞台の設営,演技指導をしてくれる指導者(これも元農家で,先祖伝来の田畑を処分して芝居用具一式を揃えた)への接待等,村人が分担して行う。
素人歌舞伎,農家歌舞伎は各地で行われていたようだが,回想記冒頭の農家歌舞伎に関する叙述は農家の,束の間の農閑期を積極的に楽しみたいという雰囲気がリアルに描かれていた。

十二代目の対応や農家の園芸に掛ける取り組みは,既に十数年前のことだったり,数十年前のことだったりするが,
名うての小説家の手に掛かると,その像が目に移り,音が耳に響くように感銘を受ける。