2013年6月17日月曜日

朝に,昼に

朝4時起床。
サッカー・コンフェデレーションカップブラジル3x0日本
ボールが前線に収まらないんだから仕方ない。
前線へのボールに合わせてヘッディングするFWではなく、
足元,頭ふり下手でも潰れてもボールを抑えるFWを置くべきだったのでは?


年2回タイガースを迎える時は「どちらのホーム?」というくらい阪神ファンの声援が大きい。
開始時間を間違え,14時半頃球場に到着した時には,阪神の先発,「超高校級」藤浪投手のピッチングを見られなかったのが残念!

2013年6月15日土曜日

二都?物語

いつもこの時期になると不思議な感覚に陥るのが,
仙台は曇りないし雨模様なのに,笹谷トンネルを抜けると改正,というかカンカン照り。
部屋にいても暑いが,外に出るとさらに暑い。
冷房利かせているといっても,ご時世だから抑えめ。利かせていない部屋もある。
外は,雲はあってもほぼ快晴の30度。
美容店の主人は「なかなか梅雨入りしませんねぇ」とぼやいている。

ところが,仙台に戻ると,曇りか,快くない?晴れ。
夕方は毎日にように小雨,霧雨。

人に言わせると,
夏のカラッとした高温が山形のサクランボやスイカに甘みをもたらすのだとか。
甘くなったり,辛くなったりと,変幻自在とはゆかない人の方はツライ。

2013年6月13日木曜日

昨日言ってよ

昨日のパスタ皿。
Facebookで「いいね!」を集めたので,
今日はお茶碗4つ。

ハイ,と支払の時になって
「これ美濃ですけど。物がなくなったので仕入れたんです。
伊万里はこの一角だけです」と右手で指す。

まぁ,図柄気に入っていたから^^


2013年6月12日水曜日

ざらパスタ

6月12日,何時もより帰りが遅くなったのでジムには寄らず,
先週末より一番町四丁目アーケード街で開かれていた全国大陶器市
にて伊万里焼仁平窯の,パスタ皿2枚。

2013年6月11日火曜日

踊り場に直面するアベノミクス

今週初め再び円安,株高に触れたが,
先週末は,米FRBが予告する量的金融緩和縮小への懸念,及び週末公表された米雇用統計への受け止め方から
米ダウ下落=日経下落,ドル安円高に大きく振れた。

これを一時的な調整局面と見る向きもある。
確かに株価の動きは実態をそのまま反映するわけではないから,以後も反発の可能性は否定できない。

しかし,やはり先頃発表されたアベノミクス「第3の矢」成長戦略のインパクト不足からすると,
市場はやはり先行き不安になったのではないだろうか。

例えば,農業所得10年で倍増と謳っても,農業法人の拡大には熱心でない。
大規模化と齟齬を来すはずの減反(の廃止)は原案にも盛られてなかったようだ。
混合診療も脱落した。
発送電分離の時期は曖昧なままだ。


もちろん,これらに全面賛成するわけではない。
例えば,農業再生が,中山間地の多い日本では,大規模化だけで進むはずがない。
国土ないし環境保全という意味でも,一定の保護は必要であろう。
商業ベースで拡大する部分と採算ラインを切っても保護すべき部分を組み合わせるほかない。
それは所得倍増という目標だけアピールしようとするから疑問,不審を掻き立てることになる。


成長戦略がパッとしない,ということは,
アベノミクスには,市場に成長を促す仕掛けはない,ということではないか。

最初の「二本の矢」,大胆な金融緩和と財政出動は経済が軌道に乗るまでの一時的施策にすぎない(そうでなければ「大きい政府」化)。
政府,日銀が緩和する,財政出動するのは易しい。
与党内がまとまっている限り実施できるからだ。
しかし,それはあくまで景気の「読み水」あるいは「時間を買う政策」に過ぎない。
そもそも,白川日銀総裁時代から国内にカネは余っていた。
企業が国内市場を投資先として魅力ないし展望を感じていなかったに過ぎない。
したがって,いくら金融緩和を「異次元」レベルに高めようとも,
企業が国内に有利な投資先,市場を見出さない限り,
「利益が上がっても海外投資」の流れは止みそうにはない。


結局,アベノミクスとは,輸出関連企業の為替差益と株式相場浮上による一時的活況,第1幕で終わりかねない状況にある。

---補足---
競争力会議「成長戦略」骨抜きに 楽天・三木谷社長に聞く(日経13/06/12)

――産業競争力会議に点数を付けると。
「総じて言えば75点。最大の成果は環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加を側面支援したこと。
規制緩和も道筋は示せた。あとは安倍首相、菅義偉官房長官らの実行力にかかっている。
既得権益を守る人々に阻まれて総論賛成、各論反対になったのでは0点だ

「様々な議論をしたが、結局、官僚のシナリオ通りになった
安倍首相には今後も期待するが、今回は変革を拒む抵抗勢力の頑強さを痛感した」


2013年6月7日金曜日

拝受

6月6日(木)恩師の福留久大先生より「安倍晋三氏の経済政策---アベノミクス試し切り」「米軍機墜落の資料蒐集」(『福岡国際大学紀要』29,2013),『名誉教授の会・座談会』届く。

有り難うございました。

3月で福岡国際大学も退かれ,メールも携帯も持たない先生にブログでお礼を述べるのもおかしなことですが,
いまの仕事を終えたら,試し切りしてみます^^。

2013年6月3日月曜日

やはり学問の人だった

6月2日(日)13時より仙台は北山の輪王寺で開かれた馬渡尚憲先生の葬儀は
は,ご親族以外は,お弟子さんたち(+居候の自分)のみの参加だった。
ご家族が近親者のみの「密葬」を強く希望されたためだ。

印象に残ったのは,「お別れの挨拶」にたたれた近親者の言葉だ。
4兄弟の長男であった先生は,父君が若くして亡くなられたため,弟や妹の親代わりを務められたようで,
弟さんは就職の相談に乗って貰ったことを話された後,
「オレの千分の1でも勉強しろ」と諭されたことがあったとエピソードを紹介されていた。

また娘さんの一人は,
「後になって『こんな高みに辿り着けたのだ』と気付くことがある」と
「努力の大切さを教わった」と話されていた。
 
慕う人の多い大先生にはいろいろなタイプがある。
研究者以外にも市民や労働区慈愛完成者,市民運動家などから慕われる人もいる。
政治家から政策等について提案を求められる人もいる。
ポストの世話をする人もいるだろう。

馬渡尚憲先生は東北大学では学部長や副学長を務められ,県立宮城大学の学長にもなられた。
また経済学史学会の代表幹事も務められた。
宮城大学の学長には,東北大学を定年前に辞めたうえで就任された。
「行政手腕に秀でている」,場合によっては権力志向が強いという噂も聞く。

また,その思考法はかなりプラグマティックであった。
実際,先生は政策志向もお強く,「経済学は政策提言すべき」としばしば研究会で主張されていた。
政策提言できて初めて空理でない学問とのお考えだったように理解していた。

たとえば,経済学原理論における賃金理論への疑問も,会話のなかでは,イギリス恐慌論を調べられて,必ずしも宇野恐慌論の想定するような賃金高騰が恐慌の引き金ではなかったことを真っ先に挙げられていた。

理論モデルの問題は,現実の様々な動きとは必ずしも一致しないことは多々ある。
だからといって直ちに理論が無効とは言えない。

僕が研究会に参加させて頂いた時には,先生は経済学原理論への関心は醒められていて,専ら経済学史の研究をされていたように思う。
そのあまりではないが,純粋に経済学原理論としての研究報告をしていた自分には,現実的含意という点で厳しいコメントを頂いた。
内容上のコメントなら良いのだが,時として経済学原理論の研究を続けることに対するイヤミとも取れる言葉も受けて,正直ムッとしたことがある。
それはもはや学問の言葉とは受け取れなかったので,
先生はかなり遠くの世界にいらっしゃるなぁ,というのがその時の正直な感想だった。


しかし,葬儀後,お弟子さんたちと駅のレストラン街で思い出話などしていて感じたことだが,
現実の政治や政治家とは一線を画されていた。
学部長も副学部長も代表幹事も学問の世界のことであった。
決して学問の世界以外の評価を求められていなかった,とも言える。

自分へのコメントも,あくまで自分の学問的立ち位置を基準としての発言であった,とも言える。
自分の選んだ学問アプローチに忠実だからこそ異教徒には峻烈な言葉を発することになったのだろう。
僕も先生の言葉によって,かえって経済学原理論の研究に邁進しなければ,と奮い立たされた面がある。

その意味では,先生はやはり「学問の人」だった,

先生はなくなる直前までお元気で,大学院での教育や学会報告に強い意欲を持たれていたようだ。
それはご家族並びに近親者には辛いことだろう。
しかし,気持ちが閉塞されたり,手持ち無沙汰だったりする時よりも,お元気で研究に没頭されていた時に亡くなられたのは先生ご自身にとってはむしろ幸いだったのではないだろうか。

重ねてご冥福をお祈りします。